悲しいこと・・・
ご存じの方も多いと思うが、「RIDERS CLUB」編集長の竹田津さんが不慮の事故で亡くなった。6月6日(月)の午前10時過ぎ、取材でバイクの試乗中にセンターラインを越えてきた対向車と衝突して帰らぬ人となった。享年39歳。早すぎる死である。
彼とは親友というわけではなかったが、同じ2輪メディア業界の人間としてよく知った仲だった。「ライダースクラブの竹田津と申します!!」と満面の笑顔で元気よく名刺を差し出してきたのを昨日のことのように思い出す。たしか筑波サーキットだったと思う。タイヤかなにかの発表会で、いただいた名刺にはまだ編集長の肩書はなかった。
その後の彼は、エディターとしての才覚とライダーとしての能力を開花させて、いつしか業界を代表する名物編集長になった。誰からも好かれるお茶目で真っ直ぐな性格で、とびきりの笑顔と大笑いでいつも周囲を和ませてくれたっけ。試乗会でもいち早くこちらに気付いて声をかけてくれる、そんな気さくで気が効く人物だった。“キャプテン”の愛称はまさに彼の器の大きさを表していたと思う。
バイクで走ることが大好きで、サーキットでもよく一緒になった。2008年の「鈴鹿4耐」でも近くのテントで行き来したし、「もて耐」や昨年秋の「MAX10」でも顔を合わせた。つい最近もKTMの試乗会で束の間のバトルを楽しみ、協力してバイク業界を元気にしていこう、と話したばかりだった。それが最後になるなんて・・・。
タケさんもさぞかし無念だったろう。残されたご遺族の心中を察するには余りあるものがある。私を含め、友人・知人にも打ちのめされた人が多いと思う。粋でカッコいいライダーの代表だった彼の死が2輪業界に与えた衝撃はあまりに大きく深い。
人はいつか必ず死ぬ。いつどういう死に方をするかは選べない場合が多いだろう。だが、どういう生き方をしたかで人生の価値は決まると思う。なにも大きなことを成し遂げるだけが人生ではない。家族や友人や知らない人からも、どれだけ愛される存在であったか。それがその人の価値、幸せな人生だったかを測るモノサシなのかもしれない。その意味でタケさんは生きた。葬儀に訪れた数千人の列がそれを物語っている。
彼は私よりだいぶ年下だったが、尊敬に値する立派な人物だった。バイクの素晴らしさをより多くの人々に伝え続けることに半生を捧げた、彼の志を継いでいきたいと思う。
嬉しいこと・・・
「MOTOCOM」でも応援してきた、松下ヨシナリさんが2011年度の「マン島ツーリスト・トロフィ」の最高峰「シニアTT」クラスで完走、電動バイク部門の「TT-zero」クラスでも5位完走という快挙を成し遂げた。何よりも無事帰ってきてくれたことが嬉しい。事前のインタビューでも「頑張りすぎずに頑張って」と中途半端なエールを送ってしまい、ちょっとバツが悪かったのだが、見事に2時間の壁を破りベストラップを更新してみせた。出発前にお会いしたとき、悟りを開いた禅僧のように落ち着き払った姿を見て、今回は必ずやってくれるはずと思っていた。
2009年の初チャレンジでは転倒で重傷を負った彼だったが、その苦い経験をバネに2年間かけて周到に準備してきた結果が今回実を結んだと思う。彼もまた優れたライダーであり、マルチな才能を持った人物である。だが、彼の最も素晴らしい部分は、類まれな勇気と意志の力、行動力だと思う。速いライダーはいくらでもいるが、それだけでは到底マン島を完走することなどできないはず。周囲を巻き込むことで自分の夢を実現する力、夢を共有化させてしまう彼の底力には脱帽である。つまり、彼の本当の凄さはリーダーシップ能力ということになる。
まあ、「松下ヨシナリ」の分析はこれぐらいにして、彼の偉業を称えたいと思う。本当にお疲れ様、そして、おめでとう、と心から言いたい。
そうそう、次は「松下ヨシナリ」凱旋インタビュー? も予定しているのでお楽しみに!